誕生 1571年(元亀2年) 死没 1632年(寛永9年)
改名 幸明
主君 徳川家康、松平忠輝、松平忠昌
父母 父、真田昌輝 母、相木昌朝の娘
生涯
真田幸隆の次男、真田昌輝の嫡子で、真田信綱や真田昌幸の甥にあたる。
真田信正は父、真田昌輝が長篠の戦いで戦死した時は2歳であった。
その後、真田昌幸のもとで養育されました。
1611年(慶長16年)には越後の高田城城主である松平忠輝に700石で仕えました。
松平忠昌が越前国北ノ庄藩(のちの福井藩)へ移封され時には一緒に福井へ移りました。
本多忠国にも仕えたという説もあります。
真田昌輝の家系は越前真田氏として現代にまで続いています。
改名 幸明
主君 徳川家康、松平忠輝、松平忠昌
父母 父、真田昌輝 母、相木昌朝の娘
生涯
真田幸隆の次男、真田昌輝の嫡子で、真田信綱や真田昌幸の甥にあたる。
真田信正は父、真田昌輝が長篠の戦いで戦死した時は2歳であった。
その後、真田昌幸のもとで養育されました。
1611年(慶長16年)には越後の高田城城主である松平忠輝に700石で仕えました。
しかし、1616年(元和2年)に松平忠輝は改易され、1618年(元和4年)から高田城に移封された松平忠昌に仕えました。
松平忠昌が越前国北ノ庄藩(のちの福井藩)へ移封され時には一緒に福井へ移りました。
本多忠国にも仕えたという説もあります。