生没年不明
真田頼昌の五男
妻 不明
子 宮内少輔幸重
上野吾妻郡の旧族である鎌原家の養子に入った。
鎌原幸定は子、宮内少輔幸重ともに武田信玄に臣従した。
真田幸隆の吾妻郡進出にも武田信玄のもと鎌原幸定、宮内少輔幸重は協力した。そして
真田幸隆と共に羽尾氏や岩櫃城の斎藤氏を滅亡させた。
幸重とその子、重澄は
真田幸隆、
真田信綱と共に上野制圧や武田氏の勢力拡大に貢献しましたが、長篠の戦いで戦死しました。
重澄の子、鎌原重春は真田昌幸の娘を正室に迎え、天正10年(1582年)3月の武田征伐で武田勝頼が滅亡すると、宗家の真田家に従いました。